CRITICISMS 論攷
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「GIRL’s BLUE 佐々木良子」 −ガールズブルー 禁じられた遊び−
G345 2013/04/21
■甦生する女優
本作は「Happy Fish」以降2作目となる「佐々木良子」名義によるアダルトサイトコンテンツ出演作品である。
ユーザーの様々な嗜好に訴求すべく、多様なアプローチを展開するアダルトサイト群にあって、運営母体が同一であるこの2つのサイトは、互いのリンク集に目立たぬ相互リンクを貼付している以外にはこれといって相互関連・共存性を謳っていない。しかしwebレイアウトや構成が細部にわたり酷似しているうえ、共に制服姿の女子学生との情交過程を発信する主題、さらには双方で多くの女優が重複し且つ同じ役名で登場していることから、両者は密接な互換性を有し、姉妹サイト的な趣を持つものとなっている。
「Happy Fish」「GIRL's BLUE」両サイトに登場を果たしている女優の場合、その出演コンテンツは若干の差こそあれ、双方が比較的近接したタイミングを以て公開されるのが慣例である。中には「g057 宮田沙織」編のように、両サイト公開時期が半年以上空く作品も包含されるとはいえ、双方で着用する制服や女優イメージスチルの共用も常套的であり、あるいは双方のコンテンツが同日撮影であるかのような可能性さえ想起させるものである。
その中で2つの「佐々木良子」編コンテンツ公開に見られる、両サイト間の過大な時間的離隔は極めて異例なものといえるだろう。
サイト内で閲覧可能な公開動画の経年に伴う質的向上(公開時点での尖鋭フォーマットへの準則)、映像群から掬い取れるシリーズとしての流儀的事象の変遷から推しても、埋もれた遅滞作品を唐突に新作ラインナップに割込ませたような異質感はない。このことから本作が先行作「Happy Fish 佐々木良子」編と同時期に撮影されながら、遷延の末ようやく公開に漂着した遅配コンテンツであるとは言い難く、両編を跨ぐ公開時期の間隙と相応な時間を隔て新たに撮り下されたものだろう。 これは永らく停滞していた(と思われる)ひなたの活動再開をも示唆するものであり、本作が直後に控えた彼女の復帰に於ける嚆矢のひとつとなってゆく。
AV女優の改名復帰を遡れば多くの先蹤が挙げられるが、新たな所属先と女優名を得た彼女は、清新な新参を装い、本作公開以降矢継ぎ早に新作リリースを連ねてゆくことになる。
本作の衣装は「Happy_」の再利用こそ叶わぬものの、両作品の整合性を探求するかのように各アイテムとも先行作出演時に似せたものが採択され、「GIRL's BLUE」登場衣装では過少な部類の臙脂色の紐タイを敢えて択ぶなど、既存の「佐々木良子」再現に腐心しているかのようにも思われる。(しかし実情的にはアダルトサイトの1コンテンツに対し、制作者がこうした精緻な細部再現を欲するかは甚だ疑問である)
SM色を全面に押し出した「Happy Fish」に対して、「GIRL's BLUE」では男優との極めてオーソドックスな絡みが全編にわたり展開する。近年の定番的な前戯用アイテムであるところのハンディマッサージャー(電マ)の常套的な導入はあるとはいえ、その作品テイストはAV聡明期から現在まで連綿と継続するストーリー性を持たないドキュメント指向に根差すもの、あるいは単体女優のデビュー作に見られるような、互いが以後の成行きを承諾し、女優が男優の要求に速やかに服する、緩慢かつ平坦な因習的流儀からなる性交表現となっている。
両者が対顔するに至る経緯の略述さえされず、男女ふたりが会話を交わすこともなく唐突に行為に及んでゆく展開は、抑揚を欠き冗長に感じられなくもないが、特定の状況下のドラマ的演出や、時としてコミカルな要素も包有したバラエティ色の濃い作品への登板が顕著な企画女優にあっては、こうした古典的とも言える交歓描写からなる作品は、却って新奇な感触を伴うものとなる。
企画作品では男女一組の情交を追った作品であっても、男優自身の携行カメラによる主観視点(あるいはそれを模した疑似的主観)を内包したものが数多くみられ、作品の随所に手持ちゆえの不安定な映像の揺らぎや見処を損なう劣悪なフレーミングを併存させる。ひなたの出演作にあっては、「少女ナンパやり捨てレイプ」「ロリはめ21」「青春18きっす」等がこれに当るものだろう。
あるいは「Hunter」2作品、「KARMA」2作品で見られるような窃視を仄めかすやや引き位置からの定点カメラによる映像、さらには多人数女優を擁した喧噪たる群像劇(ひなたの作品では「本気で女をイカせる男になれるエロビデオ」「SOD女子社員 王様ゲーム」)でみられる慌ただしいカメラワーク等、女優の見せ方に関してはいささか飽き足らず、不十分なものと言わざるをえない。
「GIRL's BLUE」では、男優は女優との行為に専心し、一部に男優の主観視点風ショットはあるものの、その腰動と同期して上下に浮揺するような「ハメ撮り」的な映像は一切登場しない。全編に於いて画面外のカメラマンによる的確なフレーミングと引きと寄り画の混在によって安定した映像を製出している。舞台となるのはソファとベッドのみの簡素な空間である為、作品中で蕩揺する女優の形姿を堪能する、という一点に関してはほぼ申し分のないものだろう。
しかし本サイトは定期的に更新されモデルが追加されてゆく中、その内容の類似性、画一化は極めて顕著であり、シリーズ作品としての多様性、耽溺性を著しく欠くことになる。
初期作品こそ男優が複数であったり、冒頭部にブリーフィングとしての屋外シークエンスが設けられる等、プロットに明確な差異が認められるコンテンツの混在が認められたが、次第に定型化して本作から遡ること3年前の時点で、既に行為の段取りに本作との過少な違いしか見つける事が出来ない。
出演男優、ロケ場所も多くの作品で共通しており、撮影者も一貫してシリーズが持つ固定的な映像の確保に終始し、判で押したように過去作品を透写するかのようなルーティン・ワークと化している。お定まりの雛形の中に出演女優を差換えただけの各コンテンツからは独自性は消失し、有料サイトとしての創意に欠けて閲覧者の再訪への阻害要因となることだろう。
また本作は全編70分の尺を有するが、交接場面に至るまでの前戯シークエンスに於ける電動具使用がやや執拗であり、作品の緩急やAVとしてのダイナミズムを欠いて平板な印象は否めない。「GIRL's BLUE」サイトの本作近辺の他編動画もほぼ同等の長編であるが、電動具による暫時の絶頂到達を描写することに執着するものは多い。ベッドルームでの情交描写を核とし、撮影場所をバスルームに移動しての交歓や、衣装を替えてのエピローグ的な掌編から成るが、 経年とともにアップデートされてきたコンテンツ動画の長尺化に伴い、この類型的な既存フォーマットから脱却すべきだろう。