「『ひなた』について、」製作・運営委員会 2010-2019 

「10代の甘い髪の香りは勃起薬!
  満員状態で正面から股間と股間を擦りつけたら
ヤられるか? VOL.1」(1)

DANDY122 2009/01/22

CRITICISMS 論攷

2009 © HIROSUM Entertainment.ltd.co. All Rights Reserved

■駛走する密室

5つのチャプターからなるオムニバス作品の一篇である本作。大手AVメーカーSOD(ソフト・オンデマンド)傘下のレーベルである「DANDY」に於いて、電車や路線バスを舞台にしたシリーズはレーベルの主軸として定番化され、何本もの派生作品がコンスタントに生み出されている。根幹はいわゆる「痴漢・痴女モノ」であるが、エピソードごとに絡みの濃密度に違いを見せ、単調になりがちな閉塞空間に於けるドラマに様々なヴァリエーションを並列させている。

「10代の_」では各章に女子学生に扮した女優が登場、テーマに沿ったショートストーリーを展開する。タイトルからも内容の推察は容易で、バス車中、髪の薫香に魅せられた男の奸計に掛かった女子学生が、抵抗空しく彼らの術中に落ちてゆく様を描いたものだ。各章がタイトルテーマに即して酷似した映像の反復に陥る中、最後に登場するひなたのパートが、他篇と一線を画する緊迫感溢れる作品となっている。その要因は前掲に違わず彼女が醸す写実的な女子学生形姿に依るもの、加えて演者としての力量、そこから生じる観る者が享受するリアルな背徳的感覚も付加されるだろう。彼女は他の出演作でも達者な芝居を見せているが、本作に於いてもその演技力によって作品をより濃密なものに仕立てている。

性感描写主体のAVに於いて、ドラマパートは情交シーンに至るまでの経緯を簡素に描いた添え物的な扱いでしかない。そこで繰り広げられる演技経験の乏しい出演者で綴られる会話の授受は、抑揚を欠いた稚拙な棒読み台詞の応酬となり、多くの作品で観賞者の意識高揚を助長する要素と成り得ていない。昨今のAV女優には生得の演技力を発揮する者も多く、「DANDY」ではそうした女優の簡抜によって臨場感ある作品の発出に至り、主役の平時を描くドラマ部分に重点を置いたことで、AVの新たな方向性を確立したといえる。
本作「10代の_」では全5編共に走行中のバス車中シーンからの挿話開始となるが、他の「DANDY」作品ではバス停での乗車待ちシークエンス、果ては本編の佳境をバス車内での展開に持ちながら、序章として会社員としての就労風景や学生の登下校時エピソード等に多くの尺を費やすことも稀ではない。 本作のひなたも設定上の役柄を好演しており、DVD再生時のチャプター選択画面で他の女優4人が「甘い香りの女子高生(1〜4)」となっているのに対し、彼女のみが「甘い香りの○○生5」とあり、より低年齢設定の役どころを担う。おさげ髪で本編中の台詞の言い回しも意識して無邪気さを醸しているように見える。

AVに於ける作り手の常套手段のひとつに「落差の強調」が挙げられる。初見で披露する清楚な容姿から受ける印象と、その後に繰り広げられる汚辱行為により大きく変貌させられてゆく女優の形姿の差違を見所とする手法は、AVに留まらず、広義のポルノグラフィ全般に浸透する古典的・常態的な偏好といえる。

本作は未成熟な少女的ルックスを持つ彼女に、その資質を生かした作中のキャラクター造形も手伝って「無垢な主人公の性的耽溺」という狙いを的確に顕現化した作品となっている。
「DANDY」作品の通例通り、作品内の各チャプターは極めて酷似したプロットからなるが、ひなたの登場チャプター(約33分)は、本作で最も長尺であり、彼女が危地に陥るまでの導入部も細密に活写される。各チャプター5編を序章と要諦とに二分し、その分岐点を、各章で共通して反復される女優の挙動「自らに押し当てられる、露出した男性器の発見」シーン(男優の一物を見定めて絶句する女優を足許位置からとらえた、極端な仰角ショットの開始)とするならば、そこへの到達までに11分34秒の尺をあてがわれた「ひなた編」序章は、後半部との差違の表象をより強調し明示せんとする制作者の思惑が窺い知れる。

女優の流麗な容姿のみを作品の要とする「単体物」とは発案の起点から異なる「企画作品」とはいえ、全編の3分の1を主人公の表面的素描に充てる構成は、嘗てのAVの感覚からすれば尋常なことではない。こうした作品組成は記録メディアの長時間収録化に伴い浸透・定着したもので、近年の作品には数多く見られる傾向である。プレステージの「モリッ娘 ウォーカー」シリーズ(2007〜2008)等は、その導入部の長さに於いて甚だしく顕著である。

彼女は序盤、眼鏡を掛けて登場する。眼鏡は性的に未発達であることの象徴として用いられ、本作の役柄を強調するアイテムである。

クローズアップを多用し、導入部では頭部と下顎を画面から欠くほどの極端な超アップの挿入を以て彼女の形姿描写に専心している。眼鏡の着用により性的魅力を担うひとつである「目」の表情を隠すことで、まだ汚されていない純真な女性を印象付け、飾りのない愚直さをも表現している。本編が他チャプターと比較してより強淫色が濃いのも、真率な対象への汚辱という主調を顧慮した顕れと思われる。他編が峻拒から恍惚へと向かう女優達の変移を描き、結末で男優と交わす忍笑や明らかな能動的挙動で括るのに対し、本チャプターはほぼ一貫して男優主導で推移する。作品終尾のイラマチオ強制と、それに続く顔面への射精描写は執拗を極めたものであり、視聴者の加虐的欲心を強く誘起するとともに、作品の終章を担い、定式化して単調になりがちな他編と一線を画すアクセントとして成立している。

姉が下車し画面から消えた後、一人の男が少女の背後に立つ。不自然に身体を密着させてくる男を訝りつつも混んだ車内の人波に身を任す少女。揺れで躓くたび身体に触れてくる男に不吉な予兆を感じていたものの、やがて男が自身に対する明確な「行為」に及ぶにつけ、彼の底意を知った少女は激しく狼狽する。男も悟られると知るや攻勢に転じ、抗う少女にあからさまな性的接触を迫ってくる。少女の苦悶の表情のアップ、煽りのショット、縺れ合う二人を横・俯瞰で捉えたインターカット等、多彩なカメラワークで成り行きを追う。

後半の陵辱シーンは淫夢でもみるような誇大妄想的展開となるのだが、リアルな画造りの効果もあり、冷めずに仮想現実の世界を受け入れることが出来る。 終末で、口淫・手淫を強要された挙句、欲望の迸りを顔中で受け、乱れ髪で呆然と立ち尽くす姿は、序盤の清純・可憐さからはかけ離れたものだ。

満員のバスの中、変質漢の標的となった少女が抵抗虚しく籠絡されてゆく過程が描かれる本作。冒頭、車中で交わされる姉との会話の中で主演者の役どころが提示される。彼女の目下の案じ事は「どうすれば三つ編みが上手く結えるか」といった些末事であり、「身支度の為に早起きする」ことが億劫であり悩みの種なのだ。終始明るく笑顔を振りまき、塾通いのために途中下車する姉との別れを不安がる_ 充分に少女っぽさを演じることで、後半、彼女が男によっていかように変貌させられるのかという視聴者の期待を煽る。姉から手提げバッグのファスナー半開を咎められる場面に於いて彼女の無防備さを示唆し、「気をつけなきゃ_」と括る姉の台詞が、身近に迫る危機を伏線的に仄めかす。

 

中盤、男の過度な接近を受けて彼女が不審を露わにし、臆して背後を見返るクローズアップシーンは、その一連の運動が彼女の正面から男優の肩越しショットへの切り返しで継がれるがゆえに、筋立てのテンポを一時的に停滞させ、彼女の畏怖と嫌悪の感情表象をより顕現化して視聴者に伝播する、他編には見られない本作中の特権的なカットとなっている。他編で女優の苦悶を追述するのは専ら非人称カメラのドキュメンタリー的視点によるものだが、ここでは同じ非人称視点ながら女優のアップを「対者の肩越しショット」で捉えることで、背後に佇む男の怪異と接近する不審者に対する主人公の心情を強調する、極めてドラマ的な「情感」ショットとして提示され、彼女のやや強張った睥睨からは「少女」の無垢ゆえの偏固・真率さをも看取することができる。