「『ひなた』について、」製作・運営委員会 2010-2019 

「制服ラブホテル あかね」(2)

APAA-210 2013/06/25

CRITICISMS 論攷

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手持ち撮影主体となる前後編と異なり、固定カメラによる客観映像のみで構成・収載された「制服編」中盤は、監督自らが多年の集積から獲得した巧妙なフレーミング、充分な検証を経た秀抜なアングルへの固執カット毎の連綿たる持続性を相伴い、本作の白眉ともいえるシークエンスとなっている。ここでの男・女優はひとつのカットの開始を以て、基本的に体勢を変更せずに律動しひたすら行為を継続する。その際、身体の位置移動はごく僅かな左右揺動と上昇・下降に留まり、女優は常に画面中心に置かれて視聴者の意に反するフレームアウトを生じることがない。
これはAVの佳境たる情交シーンにあって、要である女優の表情が画面から排除される、という愚を避けることに専心し、精緻極まるポジション選定に腐心した末に齎される所産であろう。作品中、まさに行為のさなかである監督が、自ら手持ちのリモコン操作によってアングル修正する様子が頻繁に見られ、二役兼任の労苦の一端を垣間みることができる。

本作の固定撮影でも女優の僅かな姿勢伸縮に合わせカメラは上下に微動している。撮影中の構図補正は傍らに置かれた小型モニタによって常に監督の監視下にあるが、同手法を用いた作品でも男優がこの作業を怠り(あるいは認知しても意に介さずに)、女優がフレーム外に消除されてしまう拙劣なショットはAVで頻繁に目にするものである。

こうして中盤ではオープニングから続いた覚束ないカメラの蕩揺を報償するかのごとく、一転して安定したフィックス・ショットの連鎖によって展開する。総じてカメラマンが随行する作品では、撮影者自らが移動するドリーショットの多用やアップの挿入など、常に移ろいや変化を繰り返すが、その代償として視聴者のリビドー到達への充分な動機づけとなりうる卓抜した構図の発現は断続的か、作品によってはごく稀少なものとなる。
葵作品に於けるフィックス・ショットは固定視点ゆえの単調さを回避すべく、ひとつのシークエンス(同一体位によって連続する交接場面)内で複数回のアングル変更がカット割りによって施されるが、その一塊々々が、ポージングに拘泥したスチル画でも見るような慥かな構図を以て、女優が無意識に成形する滑らかな身体の撓りをしばし鮮明に提示する。
本作に見られるソファでの座位ショットに後続する立位のシークエンスでは、正面のニーショットから転じた極端なローアングル、再びカメラ位置を変更してのニーショットへとカット割りがなされ、一連の流れを約3分間にわたり精細に描出しているが、こうした単一の体位に対する執拗な追駆も葵作品が持つ特有性といえる。

本作の中核をなす座位プロットの繊密さもさることながら、この立位シークエンスのみを簡抜しても、多くの中断と撮影テイクを重ねて結実したものであろうことは、映像内に映り込む、ソファに放下された小さな半透明容器のカット毎の不一致、あきらかな位置移動からも推量できる。
容器の形状から推して、終盤の「浴室編」冒頭部のローションプレイに使われるものと同一と思われるこのゼリー入りチューブは、撮影の際、男性器が挿入困難に陥った際に使用する潤滑剤としてもAV撮影現場に常備されるといわれる。演出としての「ローションプレイ」以外、撮影中断時の「潤滑剤」の用途としての使用後は、通常ADなどの手に渡り画面外に排除されるものであろうが、葵作品では「制服ラブホテル ゆり」のベッド脇のサイドテーブル上、「おいしいからだ ななみ」での無造作な床への放置など度々映像に映り込み、本作ではカットごとに配置の変化(撮影中断時の使用痕跡)が認められ、度重なる構図の変更によって生じる断片的な収録作業の残滓と労苦を垣間みることができる。

ベッド上へと場所を移して継続される最後部は、寧静な中盤から一転した慌ただしいカット割りとカメラの強引な半旋回ショットによって一気に終局へと畳みかける。小刻みに細分された断片ショットの連鎖は、さながら男優自身の高揚感を表象するかのような烈烈たるダイナミズムを以て視聴者の共鳴を煽動する。(葵作品中にあっては本作終末部シークエンスの描写は他作に比べやや生彩を欠いているが)

 

作品中で混成された葵監督の流儀ともいえる放縦と秩序は、精到に編み出された幾つものテイクからなる潤沢なストック・フッテージから入念に選取されたうえで紡がれたものだろう。完成作品はその端々から確固たる拘りが見て取れ、一編のシステマティックな構造性や氏の作家性を色濃く表出するものとなる。不世出の映画監督・小津安二郎は、ロー・ポジション、固定された構図、人物のバスト・ショット多用など、「小津調」と称される創意溢れる技法を以て独特の映像世界を創出してきたが、葵監督作品の独自性と稠密さは、過大ともいえる1シークエンスの持続性と、そこに副次的に内在する異視点からの繰り返し撮影といった慣行からも充分に認知される。
明確な作法によって制御され被写体への絶巧なアプローチから織りなされる連続と反復は、葵作品全般に滲透する氏の本領といえるものだろう。